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歴史を語るこの1枚 Archive

歴史を語るこの1枚 スペシャル編

iwatekogen.jpgあれ?最終回のあとにスペシャル編なんてあるの?まぁまぁ、そう堅い事は言わずに(笑)

昨日カラダのキレが悪いで思い出しました。
やはり狭い場所なんかで作業をする時にお腹の肉が邪魔になるんですよ。

ジャーーーーーーーン!!

どうだこの写真、14~5年前、本気で減量して一番落としてた頃の写真です。
急に思い立って減量を始め、半年で25kg落としました。
『恐らく癌だぞ』って陰口を叩かれながら(笑)。
流石にこの頃はカラダが軽かったですねー、町内会の運動会とか進んで参加してましたから。
そう、服を買うのも楽しかった、このサイズでも着れるぞ!なんてね。

ま、それ以降徐々にリバウンドしている訳ですが、『オレは本気を出せばいつでも落とせる』 と思いつつ既に40代も後半。
この歳になるとそう簡単には落ちなくなっているんですよね。
でも本当に何とかしなければ。
昨年の夏のような暑さだと慣熟歩行終わって、既に負けたって思いましたから(笑)
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歴史を語るこの1枚 その14(最終回)

DSCF0365.jpg冬眠から既に6年の月日が流れた2006年春、2度と復活するはずが無いと思ってたオレはメーハイでスタートラインに並んでいました。

その前年、縁あって知り合った妻(当時は彼女)が、ダートラをやってみたいと言う事で、ちょうど八戸の友人が売りに出してたCJミラージュを高速バスで見に行きました。
すると妻は1回試乗して戻ってくるなり
『これ欲しい』

即お持ち帰り決定になってしまいました(笑)。
この時減ってミートポイントがかなり奥になってるメタルクラッチを一発でスルスルと発信させた時は少々驚きましたが(笑)。

翌年、ほとんど練習もせず即実戦エントリー。
それで、指導するにも乗ってみない事には方向性が見えないだろうがタテマエのオレもWエントリーしたのです(笑)。
マジに6年ぶりです。
最後のパイロンなんてハンドル回せるはずがないと思いました。
しかし意外にも1ヒート目、昨年の東北SA1チャンプS野選手、元全ダチャンプO田選手に次いで3番手タイムが出ました。
クルマが予想以上に乗り易いのです。
そうか、考えてみれば引退する頃乗ってたハイパワー四駆と比べれば絶対スピードも違うし、フルターンやサイドブレーキも簡単なはずです。
これは年寄りに優しいぞとスケベ根性が出て、2本目結構攻めると順位は変らないものの同じCJに乗ってた○田選手と同秒が出て自分でもビックリでした。

 38.jpgこの日、帰りにCMSC福島さんの飲み会にお誘い頂いたのですが、復活出来た事が嬉しかったのか、ご馳走になった越の寒梅が美味しかったのか1升ほとんど一人で空けてしまい、帰りの道程は記憶喪失・・・。
到着後、駐車場に放置されてました(爆)。

という訳で妻と出会わなければオレの復活はありませんでしたね。

最終回記念、この日2ヒート目の秘蔵動画です(爆)。

当然パイロンやコーナーの詰めは甘いですが、今年春先のインテよりは立ち上がりも速いしタイムは出てると思います(笑)

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歴史を語るこの1枚 番外編

SH903i-031.jpg

ネタ切れ近しの歴史を語るこの1枚。
今回はちょっと番外編です。

競技車を手離し長くて暗い冬眠生活中のオレは、東北のダートラ発展のため(笑)ダートラの主催を続けていました。
そこに以前から出ていた全日本主催のハナシがまた再燃。

クラブ内でも『無理だ』とか『やるなら今しかない』だとか喧々諤々議論した挙句、結局、『俺たちがやらなきゃ誰がやるんだ!』の言葉に全てが集約されてついに引受けてしまうのです。

しかし1年前から準備は始めたのですが必死になって動いていたのは幹部だけ、オレもその頃は外で仕事をしていたため動ける時間は限られており、その負担は事務局兼競技長だった代貸に大きくのしかかる事になってしまいました。

このやると決めてからの1年は本当に早かったですね。
あっと言う間に当日です。
まぁ始まってしまえばやるのはダートラです(笑)。
スポンサー各社、そしてJMRC東北の協力して頂いた皆さんのお陰で大会は順調に進んで行きました。
写真のキャンギャルも大会に華を添えてこのまま成功で終わるかに思えた2ヒート目。
花のN3クラスの時にあの事件は起きました。

事故に遭った選手の方はもちろんの事、関係した全ての皆様には本当にご迷惑を掛けてしまい、あの時点ではもう2度とこの業界にいる事は出来ないだろうと思いました。

幸い、何とか事故に対する補償が済み、示談する事も出来たので、またこうやってダートラをやっていられる訳ですが、100人以上のオフィシャルを統制し安全を確保しつつエキサイティングなイベントを企画・運営するなんて、本当に至難の業だと感じました。
あれはやはりプロがやるべき仕事ですね。

今思うとこの時の無理がその後のチームの運営に影響を与えてしまったと感じてます。
ただ『俺たちがやらなきゃ誰がやるんだ』の気持ち、ダートラって誰かが主催してくれなかったら走る事が出来ないんですよね。

来年は秋田の有力チームが全日本主催します。

心から成功を祈ってます。

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歴史を語るこの1枚 その13

ce9a2.jpg

クルマネタが無い時はこれだ!と言ってもこのシリーズもそろそろネタ切れ近し(笑)。

1999年、C83Aで初のオールスターに出場し、更に煮詰めて来年はチャンプを狙おうと言うタイミングなのですが、オレの波乱万丈な人生色々あって(詳しい事は書けません 笑)、マシンは急遽手放してしまいます。

しかし結局休んだのは数ヶ月、なぜか今度は友人から非常に程度の良いエボ3のラリー車を入手、本気でC3クラスのマシンを作る事になりました。
足回り等全部自分好みに変更、エンジンもオーバーホールし結構お金は掛けたのですが、翌シーズン勝ったのは大石田や沼沢湖などのコース幅の狭いコースのみ(笑)。
相変わらずメーハイ等では踏みすぎてタイムが出ず(写真参照 笑)、それと致命的にパイロンのフルターンが出来なかった(爆)

そしてまたこのクルマよく壊れたんです。
エンジンブロー1回、シャフト折れ2回 etc まともに2本走れたのは数少なくシリーズは3位で終了。

結局このエボ3、なんとたった1シーズンでクラブ員に売却。
人生色々なオレは長くて暗い冬眠に入って行くのです。

この時点でオレには2度と復活する日は来ないと思ってました。

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歴史を語るこの1枚 その12

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エボ3で大転倒、転倒の際に頭を打ったせいか、翌年オレは家を新築。のんびりした日々を送っていたのですが、そこに悪魔の声が。
 
『前から頼まれてたC83、掘り出し物が見つかったよ』
 
某メーカー系チーム会長さんからお電話でした。
EP82で四駆に苦しめられていた頃に『どっかにC73、83落ちてねーか?』と相談していたハナシが今頃になって舞い込んで来たのです。

せっかくなのでと軽い気持ちで見に行くと、一通りダートラ仕様で10年落ちのクルマなのに程度がすごくイイ!。
よほど前オーナーが大切に乗っていたんでしょうね、アンダーガードにもワックスが掛かっているような状態です。
早速、試乗するとあまり速いとも思えませんでしたが、サイズ的にも乗り易いし値段も安い、よぉーし買っちゃおう!
 
やっぱり病気は治っておりませんでした。

とりあえず即実戦可だったので試しに県戦に出てみる。
うーん、こんなもんなのかなぁ、タイムはイマイチ出ず。
この時確か○浦さん、○尋君に続き3位。

これでまた寝ていた虫が起きてしまいました(笑)。
足回りから駆動系、その他諸々自分好みに全て交換、この年の後半にはマシンはかなり熟成、久々に出たB地区最終戦でついにA車初優勝!!
その後の地方イベントも連戦連勝(特にこの年開催されたJMRC東北フェス、HRの外周4周!ってイベントで2位を6秒ぶっちぎりました 笑)、その勢いで翌年の第1戦から気合を入れて挑むのです。

第1戦、得意な雨の大石田、1ヒート目トップです。
よーし連勝記録更新だぁぁっと攻めた2本目、鋭角ターンで失敗、○尋君にうっちゃられ2位。
その後もライバル秋田のスピードキング岩○選手(彼の83速かったなぁ、オールスターでも最高速トップだったりしたもんね)、そして福島のテクニシャン○尋君と競り合いましたが、シーズン中盤以降、ワンオフで作ってもらったマフラーのセッティングが出ず調子を崩します。
そして最終戦ハイランド、今日前出の2人以外に負けるとシリーズ4位以下に転落する切羽詰った状況、かなりのプレッシャーがかかりましたが何とか3位に踏みとどまる事が出来て、悲願のオールスター出場決定です!(涙)。

1999年。
今と違い全日本メンバーが大挙してエントリーしてた華やかし最後のオールスターです。
成績は、結局マフラーのセッティングが出せずノーマルに戻して出場、死ぬほど踏みましたが、丸和の直線でトップクラスとの差は如何ともしがたく下位低迷。
でも華やかなオールスターの雰囲気は十分楽しむ事が出来ました。

写真はオールスター時のものです。
ここまでダートラを続けて来て本当に良かったと思いましたね(笑)。

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歴史を語るこの1枚 その11

ce9a.jpg1996年C2クラスで1勝し2位も数回、シリーズ2位を維持していたのですが、シリーズ後半雨の大会が続きC73の某S田さんが連勝します、そしてオールスター出場を掛けた最終戦、何と台風直撃、このコンディションで4駆に勝てる訳もなく結局逆転されシリーズ3位に沈みます。

シーズン終了後マシンはまだまだ快調、B地区最速のFFマシンはもっと煮詰めて翌シーズンも乗りたいところでしたが、しかし、既に世の中は4駆の時代・・・。

このタイミングでたまたまクラブ員から、エボ3を作ったものの借金苦で維持出来ないので誰か買って欲しいと言うハナシが舞い込んで来ました。
具体的に乗り換える計画なんて立てていなかったのですが、なぜか『引退する前に1回は4駆に乗ってみたい』なんて言う口実が閃き、貯金ゼロなのにEP82と街乗りに使ってたアコードまで処分して(笑)買ったのがこのエボ3なんです。

どこかで見たような写真だなと思った人、正解!!この写真のモノトーン版を昨年までfgumi.com のインデックスページにずぅーっと載せてましたから。

引退間近、最後にハイパワー4駆でのんびり楽しめればいいかなくらいの気持ちだったのですが、しかし、運の悪い事にたまたまこのタイミングで数年ぶりにダートラに復活した某○花選手と一緒に活動するようになり(Team-F結成は翌年です)、ついつい触発されてやっぱり泥沼にハマって行くのです。

しかし強豪ひしめくこのクラス、4位には数回入れましたが(館○さんの隣に立てた時は感動しましたが 笑)メダルは結局取れませんでした。

そしてこの年の県戦最終戦、ハイランド左回り便所コーナー3速全開で轍に引っかけ、○百万円で買って○百万円掛けたマシンは何の抵抗も出来ず一気に横転(人生3度目)。

このクルマ、競技保険にも入っておらず・・・。

たった1シーズンの命でした。(その後、某全日本ラリードライバーが復活させて練習車で使ってました)

もうこれは引退でしょう??

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歴史を語るこの1枚 その10

zennihon1.jpg

先日、ある友人に『HP見てたんだけど、みんなが柳○さんはEPで地区戦に確か勝ってるはずだって言ってたけど・・』と言われました。
昔の事、結構覚えてくれている人がいて嬉しいですね。

そう、確かにEPで地区戦初勝利を上げました。
しかしそれは前回書きましたが2位止まりだったA車ではなく、次のC車に乗り換えてからなんです。

オレにとって初めてのナンバーなし改造車でしたが、慣れないうちは積んで歩くのが大変でした(後ろに写っているトラックも買いました)。
でも音もいいし、改造範囲が広くて色々いじれるので面白かったですね。
本当に大人のオモチャです。

しかし、オレがシーズンオフに乗り換えて翌年、JAFのクラス区分が変わり、ライバルは2リットルの四駆サニーやC73、C83の改造車になってしまったのです。
FF最速のタイムは出せるようになりましたが(EPで鬼のように速かった十和田の野○さんに初めて勝った時は嬉しかったです)、流石に四駆と一緒のクラスは厳しい。
ただ、この頃のC73、83は、クラス区分変更から復活してきたものの、まだそれほど熟成されておらず、ウェットやゼロ発進の多いコースでなければ、まぁまぁ勝負は出来たんです。

そして初勝利、場所はメーハイ。
確か地区戦として初開催だったと思います。

4駆サニーに乗るポイントリーダーはタイムが伸びない様子、1ヒート目トップは現在ジムカーナのN1クラスで頑張っている○銀選手、オレが2位。そして2ヒート目に逆転する事が出来たのです。

ゴール後、たまたま観戦に来てくれていた和○洋○さんに『組長、おめでとう!』と声を掛けられた時は涙が出そうになりました(実はこのEP、和○さんのお弟子さんから譲り受けたマシンなんです、この時からのお付き合いですね)。
 
2位だった○銀選手の表彰式での一言。

『いやぁ、いい夢を見させてもらいました。人生の侘び寂びを感じました』(核爆)

この時の事は今でも鮮明に覚えてますよ。

(写真は初めて全日本に出た時のパドックです、隣のインプはこれも初出場の宮様。後ろの方に国政選手のマシンも見えます)

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歴史を語るこの1枚 その9

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3シーズン乗って、地区戦最高位2位止まりだったAA34Sカルタスは、ロアアームの付け根のボルトが錆びて折れたため、車検は取らずセールスを騙して(笑)下取りに出す事に。

そして新車で買ったEP82スターレット。

このクルマ、10数年経ってても未だに現役ですからスゴイですよね、先日もインテで負けそうになりましたが(笑)

当時のA3クラスはEP82のほとんどワンメーク状態。
台数も多かったけど、強豪もたくさん集まってました。
まるで野生の勘で走っているようだった(笑)○渕選手や、その後EPで全日本も獲った太○選手、そして、当時まだハタチくらいでしたが既に速さを見せていた笹○選手etc  

これまた1年目はまるっきり歯が立たず、随分練習もしたしお金も掛けましたね。
2年目以降にぼちぼち入賞も出来るようになりましたが、好きで県戦にも通ってた岩手高原(写真のコース)の地区戦で、初めて太○選手に勝った時は嬉しかったです。

しかし、このクルマも地区戦では結局2位止まり。

地区戦初勝利は次のマシンまでお預け・・・。

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歴史を語るこの1枚 その8

IMAGE0003.jpg33Sカルタスを全損後、マイナーチェンジした110PSバージョンを狙っていたのですが、実はこの時期にとても親しかったMS関係の友人を交通事故で亡くし、色々思う事もあり競技は止めようと決意します。

全損で下りた保険金で何とデリバリー直後のS13シルビアを3ヶ月待ちで購入。
ピカピカにWAXを掛け、峠などを流して遊んでいたのですが、熱ダレするターボエンジン、ガフガフのボディ剛性で、○野寺○之選手のマーチRとコバルトラインなんかに行くとコーナー2つ曲がると見えなくなるくらい離される始末(笑)

結局、半年で飽きてオークションに流し、そのお金でこの34Sカルタスを買いダートラに復帰してしまいました(爆)。

そしてこの34Sから本格的に地区戦を追い始めたのですが、ラリー走りが抜けていない1年目は全然通用しませんでした。
当時のクラス分けがどうだったのかもう忘れてしまいましたが、クラスに30台なんてザラで50台オーバーなんて時もあり、25位なんてなった日には落ち込みましたね(爆)。

そんな折、ダートラでメキメキ頭角を現していた同じ会社の遠○恵○選手の隣に乗せてもらい、ラインが全く違う事に大ショックを受けます。
そして抑えるって事を少し覚えてからですね、タイムが出るようになったのは。
初めて入賞出来た時は嬉しかったですよ(笑)。
 
写真はオートランド川崎(通称佐藤農場)での練習会。

ここもよく走ったなぁ。

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歴史を語るこの1枚 その7

IMAGE0005.jpgオレにとって色んな意味でエポックメイキングだったクルマがこのカルタス33Sです。

ドリフト命でFF車には嫌悪感すら覚えていたオレが初めて買ったFF車、そしてラリーからダートラに転向するきっかけになったクルマです。

既に時代はFRからFFにシフトされ、低排気量クラスはスターレットEP71全盛時代、鳴り物入りでスズキから発売されたカルタスですが、家が父の代からスズキの代理店をしていた関係上、東北では1~2番に早く納車されました。
納車の2週間後くらいに足回りも全てノーマルのまま(全舗装の)東北戦ラリーに参加(この時自分の後ろのゼッケンが某大御所レディスドライバーの旦那さんになる人がいました)、後半ショックがタレて怖い思いをしたりしましたが、一晩走ってFFってこんなに簡単だったんだと驚きました。

ラリーはこの頃、悪名高き5.1規制真っ只中でタイヤのサイズも大きく出来ず、ガレ場の多いラリーでは苦しみましたが、東北戦でも入賞出来るようになり、そして某秋田のラリーで転機となる30メートル転落を経験する事になります。

運良くドライバーナビ共に怪我はありませんでしたが、『オレは絶対落ちない』と公言して憚らなかった自分も落ちて、自分が怪我をする分にはいいのですが、万が一ナビが怪我をしていたらと考えると怖くなり、この時を最後にラリーのドライバーから足を洗いました。
(その後ナビとしては、今やダイハツワークスになった○野寺のナビをしたり、その他にもスポットで乗ったりはしてますが・・)

当然、とても気に入っていた33Sはこれで全損。
 
競技保険は下りた、さぁどうしよう???

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歴史を語るこの1枚 その6

  IMAGE0006.jpg
昭和50年代後半、安いモータースポーツベース車と言えばKP61でした。
オブ・アンダーソンのCMも衝撃的だったけど、売れてましたねこの車。

オレも新車から作った2台目の競技車がKP61でした(1台目はA175Aランタボ)。
関東の某ショップから50万円分パーツを買って、やれるところはほとんど改造しました(3速の次に5速に入れるスーパーシフトとか 笑)。

今思うとこのマシンの頃が一番練習しましたね。
週に3回くらい山に行ってましたから。
それに比例して成績もコンスタントに残せるようになって来ました。
メインはラリーでしたが、この写真はダートラのラリー車クラス(排気量区分無)で2位になった時のものです。
会場は、なんと今は亡きバリハイセンター駐車場!

この時代のマシンってボディがすごく弱かったので、ラリー中にAピラーが折れてガラスを押さえながらゴールした事もありました(爆)

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歴史を語るこの1枚 その5

IMAGE0004.jpgさてさて、久々のこのシリーズ、なぜかまた人のクルマで登場。

この写真は1982年、初めて盛岡遠征した時(そう、某F村さんの作ったラリーです)の反省会での記念撮影です。
初めて走ったスペシャルな岩手の良好ダートにとても感動した記憶があります。

この時のマシンはクラブ員のTE71、名機2TGも既にインジェクション全盛になり、絶対パワーはキャプ仕様の旧マシンより出なかったけど、アクセルコントロールが簡単で乗り易くなりましたよね。

この写真、メダルを掛けてますが実は4位、一緒に行った先輩チームが2位になり、メダルはちょっとお借りしました(笑)。

でもトロフィーとタイヤは自分達がもらったものです。
4位でタイヤ4本ですよ、景気が良かったんだろうなぁ。

ところで、この頃の髪形は・・・・・・・(爆)。

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歴史を語るこの1枚 その4

te47.jpgこのシリーズやっと自分のクルマが登場(笑)

デビュー3戦目の転倒後、数ヶ月晒し者にされていたTE47トレノはやっと復活。サイドにラインも入れてもらいました(笑)

このクルマではほとんど成績は残せませんでしたが、唯一のイイ思い出と言うと、生まれて初めて出たナイトラリー(OCC岩手ダイナミックラリー)の朝方のSSで1本だけ3位のタイムが出た時です。
(確かこの時のSS1位は岩手のM浦選手、2位が山形のN戸選手と言う、そうそうたるメンバーだったと思います)。

この頃のオレの悩みは、今みたいなローポジションなシートレールが市販されてなく、TRDのバケットをデフォルトで取り付けると座高の高いオレは天井にヘルメットがぶつかってしまい、いつも少し首をかしげて運転してました。

今思うとセッティングもテクニックも一切なく、気合だけで走ってた気がします。

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歴史を語るこの1枚 その3

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その後、自分の車をラリー仕様に変更、なんとデビュー3戦目のダートラで転倒し全損に近い状態にしてしまったのです。

修理工場をやっていた父親は数ヶ月間、そのクルマを晒し者にして直してくれず、それでもラリーに出たかったオレはちょうど足の骨折をして入院していたクラブの先輩のフルチューンTE27を借りてデーラリーに出場しました。

これはその時の写真、ナビは会社の先輩にお願いしました。

今乗れば大したことないんだろうけど、当時この27は名古屋のトヨタ系某有名ショップで作ったエンジンで160PSと言われてました。

初めて乗るフルチューンマシンに空を飛ぶのではないかと思うくらい速いと感じました(笑)。

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歴史を語るこの1枚 その2

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オレのデビュー戦はなんとホンダ車だった。
1978年、宮城の老舗チームKRC.S(気仙沼ラリーストクラブスポーツ)が主催したデーラリーにナビゲーターとして参加しました。

この頃TE47トレノに太っといスピードスターを履かせて仙台新港あたりでブイブイ言わせてたいたのですが、そんなオレに目を付けていた近所の先輩が、『ラリーやってみないか?』と突然誘いに来たんです。
何も分からないまま連れて行かれて、ラリー前夜にナビゲーターとは何ぞやの講習を受け即実戦(爆)

しかしこれがハマったんでしょうね。
デビュー戦でなんと4位(この頃は分計測ですが、いっぱい0を取りました 笑)。
その後、このSB1シビックでダートラにもデビュー、デビュー戦1ヒート目でオーナーを破り、当然、自分のとろとろピカピカのシャコタンTE47はダート仕様へと変化していくのでした。

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歴史を語るこの1枚 その1

maou.jpgこれから家にある古~~い写真を掘り起こして1枚づつ紹介して行きたいと思ってます。

第1回目はまずこの1枚。

これは昭和57~8年頃なのかな?
場所は福島のエビスサーキット。

魔王様、全盛時代ですね。この310サニーの頃『元祖全開男』と命名されました。

是非またダートラに復活して欲しいです。

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